2004 | OokWood /Normalizing & Minimumizm Design Workshop |
1998 | OokWood / Environmental Design
Workshop
@Love River Town |
1993 | Ooki Masami Architect & Workshop |
1984〜 | Kyowa & Ookitecture cooperative studio |
1981〜 | subcontract draftsman |
1979 | the first work "Kinta-goya
(coffee house)"
making rebirth of old dilapidated house |
1973〜
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day laborer ( house-building
sites),
assistant director ( Nakayama Construction co.), (winter) season laborer ( Ski hutte Hakuba’70) |
1971
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short homestay /
Dave Garison _ARCHITECT_'s home (Annapolis, Maryland,U.S.A) , John Grant _GMEN OF ENVIRONMENT AGENCY_s home (Sacramento,California,U.S.A), etc temporary helper-Honolulu Youth Hostel (Hawaii) |
Sagamihara Atelier
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Facade |
神奈川県 小田急相模原生まれ |
(経験として)
( '70年代)
パートナー
大木悦子 主な活動:
略歴
1998〜 古民家再生(降幡塾)研究生
1980年代末〜 (昭62〜 )インテリアコーディネーター(ほか二級建築士)ワ−ク
(環境問題ほか市民ネットワーク活動/生協理事)
1980年代 小田急相模原 工芸・喫茶「金太小屋」共宰
1970代 ユニオン製靴(株)勤務
1970年代 武蔵野美術大学産業デザイン科卒
1960年代末 神奈川県立厚木高校卒
神奈川県愛甲郡、中津村生れ (旧姓:中村悦子)
Ooki Masami & Etsuko↑近影
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(神奈川県)
相模女子大学付属幼稚舎、小学部(男女共学) |
戦後民主主義と女性解放が生き生きと開花した時代、若く溌剌とした女性教師たちと、いつも笑顔の好々爺の学部長指導の、自由、平等の「共学」リベラル学園。
今日的自己形成の影響大。 |
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座間小・中 | 小学三年時転校、封建農村校。
一緒に転校した近所の女の子といつものように手をつないで登校、全校中のうわさと冷やかしの種になる。 大人の世界をそのまま反映する社会との遭遇。「違いの分かる」貴重な体験。 |
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厚木高校 | 身体だけ成長、精神まったく未成長時代
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(慶応義塾大) | 精神まったく未成長時代の延長。時代環境的造反有理傾倒時代。
Drop Out、チャレンジャー精神自己陶酔放浪。中途除籍。
若気の至り苦難の道は確か・・と思うことも多い昨今。が、この時にしか出来なかった人生に確信を持って、チャレンジをやめる訳にはいかない・か・・ |