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近隣住民の要望・アクションで実現した「誰でもが安心して歩ける、広い、平らな、歩道」例 その1(要望実現度75%)

相模原市道「上鶴間」線 相南一丁目 開通区間 平成5年

東林間3丁目(コジマ)交差点から南方向(市役所出張所方向)

新設全区間「歩道幅2.5m、横断勾配2%以下」


「敷地にクルマを乗りいれる歩道部分において、勾配が発生しないよう、道路と敷地の高低差は各自己敷地の中ですりつける」という理解・合意が日常コミュニティの中で、事前に、容易に確認し合えた。
 結果として、設計変更(要望)で、歩道を通行する上でどの部分においても左右の勾配が発生しない一体な平らな歩道が確保できた。

 市内の新設道路の内、バリアフリーに対応した歩道として割と良くできた「道」として一応評価をしたい。

が、
要望実現度(=完成度)において「25ポイント」マイナス評価の内訳
  1. 歩道の有効幅を少しでも広く確保するため、横断防止柵(ガードフェンス)を縁石の芯に設置するよう求めたが、担当課が「標準構造基準」なるマニュアル絶対視観念から抜けきらず、変更に応じなかった。(※この区間の住民アクションを受けて、次の工事区間、相模大野方面「豊町〜御園」区間では、地区の主婦パワーのねばり強い交渉で実現をみている。)→参考写真
  2. ツリーサークル(植栽マス部分も歩けるようにする、路面と平らな鋳物蓋)もつけてくれるよう要望したが「植栽自体、要望を受けて追加変更したので、当初予算幅の上でこれ以上オーバーできない」と先送りとされた。(※未だ予算上省みられない)
  3. 植栽マスのサイズがひとつひとつ長いのにも関わらず設置間隔が短すぎて不適切。(住民サイドとしても、植栽を要望した以上、設置位置を任せずに、通行障害度を図面上チェック実証検討まで目を張って居るべきであった)
  4. 各側道交差部分に立てられた「巻き込み防止柱」「道路標識柱」が角切り通行上、全く無思慮に立てられた。(これも位置を図面チェックして見極めようとまではしなかった。まさか市の専門家と思われるレベルがこれほどヒドイとは認識に欠けていた。)
  5. その他、側道交差部分の車道と歩道の段差(標準基準で2cm)について、(0だと視力障害者の杖による感知ができないという兼ね合いも取りざたされているが)日常的に、前輪の小さい車椅子やベビーカートでは、注意を払って車輪をいちいち持ち上げないとつっかかって衝撃や放り出される事故が発生している。(※これも御園の交差点では、すりつけられた理想的な実現を果たしている。)→参考写真

  



経過

 市道路部の当初計画は、「"道路"といえば"自動車"交通のためのもの」という固定観念と、時代感覚の疎さが如実に現れているものだった。
 しかも事前には、費用負担者にしてユーザーである住民には一切説明しない、意見聴取すらしない。概略構造を掴んで市民が、「よろしくない」と言っても、まず「変更は難しい」の一点張り。ひたすら「ご理解ください」(言葉はシタ手だがその意味は「黙って飲み込め」)という「お上」の施策を象徴するような押し付けプラン。「住民参加」お題目すらソラゾラシイ旧態行政が大手を振ってのし歩いていた。

 "これからの道路は交通の流れをスムーズに図るので右折レーンをつくっておくことが肝腎だ" とこだわる。

・・・結構な事である。

 ところが、そのために
3車線分の車道幅を最優先に確保したから歩道の幅には犠牲になってくれ」 という。
  言はば、昔むかし、歩行者をクラクションで蹴散らかし、徐行も惜しんで機動力を発揮していた頃の論理に満ち満ちていた。

(昔、司馬遼太郎が若き本土防衛戦車兵だった頃、房総半島ほか米軍の上陸を想定して、至急駆けつけるべきルートを検討させられたという。そして、すぐ、そんな事態になったら、避難してくる住民の大群に遭遇して、身動きがとれなくなるだろう現実に気がついたという。その問いに上官は、「避難民をひき殺してでも、行け」と回答したという。何たる本末転倒!この国はもう駄目だ!と、絶望を尽くしたという。)

 それと同類の「本末転倒」に等しい。

 そんな計画が「工事(場所・期間)のお知らせ」として回覧板(上位下達通知)でいきなり回ってくるまで、一般市民は何一つ知らされないと言う驚くべき、説明義務理念の欠如。

 「交差点付近,歩道幅1.5m、車道との段差20cm、全く古い従来構造のまま(沿道各戸の車が出入りする切り下げ部分の都度、歩道が上がり下がり、部分勾配も相当な片流れが出来るというの歩道の内容を察知して、具体的内容を、付近の世帯に私造回覧板として、発信した。(驚くべきことに、自治会の回覧システムには、住民発信の「この道路の具体的内容情報」は載せられない という愚かしい回答が自治会からあったからだ。自治会回覧板というのは、お上の上位下達・一方通行システムとはじめて認識した

 "住民の意見を聞かないで工事を始めるところがどこにありますか!"
そんな怒りの声、そして変更を要求すべき声を満載してメッセージボードが帰ってきた。

 住民の反応を聞かされた市担当職員の、こういう状況の言い訳?がまた天才的なユニークさで感心させられる。
「事前に知らせる範囲が難しい。隣まで知らせたのに、ウチにはなぜ来ぬ、と文句を言われる。だから、ここまではお知らせしようというエリアを広く特定することが困難なので、道路敷地として買収の対象になった方だけに限定してお話するに留めるのがいいのかなあと思っている」そうなのである。(内容についても「具体的デザインまでは専門技術的なことなのでお話することはない。理解力があって、興味をお持ちの方に聞かれれば、もちろん説明する。」のだそうだ。)さすがスゴイ配慮!

 すぐ「住民同士で声をかけあって、広く地域的意向をまとめようと自発的な住民集会にこぎつけた。(自治会は、「地域の中でも狭い特定エリアの問題には、関わらない」と加わらない。出張所・公民館への主要道路ともなる道を狭い特定のエリアの問題と決めつけてしまう、まさに狭い特定エリアの脳細胞しか活動していないお忙し氏たちにさらに多忙になる話は頼めない。)
 ただ幸い、初めて集って顔を合わせた住民の中には、他市の街路設計に詳しい技術者や、都市企画識者など、偶然のブレインにも恵まれ、住民の意見をまとめて、より歩きやすい歩道の具体的事例・提案と計画変更要望を総意として確認しあった。

 一方市当局は、そういった住民の非公式な「変更・中断」意見が出ていると知ると、先の(住民を代表しているとはいえない、そしていろいろ忙しい)自治会長に計画の正当性、変更の技術的困難さを説明して、「地域を代表してご理解を賜った」として、工事に着手したのである。
 住民の会では、すぐに地域住民の多数の署名が集まっている旨を伝え、工事の中断と、(住民の会主催で会場を用意して)説明を求めた。市の道路関係・直接担当者、オブザーバーに都市デザイン担当部署という「文化室」担当者を招いた
。 
 

 また同時に、当日説明会の終了時刻に、車椅子10台を用意して、車椅子体験試乗会を既存東林間大通りで催し、市担当職員にも参加を促した。
 車椅子は、健常な若者がその屈強な腕力・脚力で制動するにもかかわらず、歩道切り下げ部の勾配に引っ張られて車道に飛び出してしまうありさまが続き、実際車椅子やカートを利用する住民や通行者の用にはそもそもにおいて供せない現状をまざまざと見せつけた。
 説明会では「予算の都合でどう住民の意向に添えるか分からない」という回答に終始した市も、車椅子試乗会ほか、その後150を越える署名、多数のアンケート回答文書・具体的個別要望文書の数に対応を迫られ、後日、住民の意見要望を取り入れた設計変更案を示してくるに至った。
 
 歩道フェンスの位置やデザイン、交通標識柱の設置位置のあいかわらずの邪魔さ加減、防犯道路照明など付帯要望にも「充分考慮する」回答を得た。
(ただし、配慮されるものと信じ住民サイドとしては「そこまで口だしせずとも」と詰めていなかった実施設計の雑さ、場当たり工事を印象づける完成度の未熟さはあちこち実際には露見された)

 ただ、実質幅員を狭めて障害的にもなる植栽についてなど、一方では「環境的潤いが欲しい」という賛否両論の中で、住民アンケートによる多数決決定で要望に加えられ、鋳物ふたで路面のフラットさの確保できないままの植栽マスが、市担当者任せの狭い間隔で配置されたりなどして、追認せざるを得ない、市民参加のチェック体制の未熟な結果も現存した。

 しかし総じて、結果、基本的な構造として改善されたので、「完成度」は次回の、歩道改善機会に求めようと、一応の活動時期を終えた。

 その後、この都市計画道路のあらたな着工区間として、この区間から2kmほど北の現道延長未開通部分、「南文化センター」沿い「豊町・栄町・御園」で、市当局は再び同じ轍を踏み、同様に、事前説明も念頭に無く、交差道路の”整備”工事着工をいきなり住民に発した。
 性懲りもない面々の、どうしようもない感覚は「急には止まれない」。
 
 そこでも地域活動に羨ましいくらい意識の高い主婦市民グループに反発を浴び、さらに私たちの住民アクションの経過と成果が情報として伝わり、数倍の多数の人たちの粘り強い取り組みによって、こちらの区間より格段に上質の歩道が実現している。



 
 しかし、彼等(市の道路部=土木やさん)の頭のレベルは、いまだ「急には直らない」。今回、また、とんでもない、欠損「改良」工事に私たちは見舞われた。
(平成10年3月)

 市は、市民の求める「歩きやすい歩道」時代に対応する公共事業・インフラ(社会施設)整備に目を向けて、東林間大通り=東林間〜小田急相模原を結ぶメイン街路(市道東林間線)の"歩道を改善する目的"の路線工事を開始してくれた。
 しかし、基本的な「歩道とはどうあるべきか」という主題を考えない頭、旧態マニュアルのみで現場あたりの工事を始めたから、工事が進むにつれ、従来同様な急傾斜の歩道があちこちに出現し始めた。

 県の福祉の街づくり条例、市自身の「福祉のまちづくり環境整備指針」も行政自ら無視できるという、とんでもないシロモノの下地が露見したのだ。
 舗装が完成してしまう下地工事の段階で気が付いた市民の「一時中止と説明・やり直し」の緊急要望書に対して、偽りの回答で煙に巻いて、工事は強行され完成してしまった。
 私たちの税金を使った「目的・用途」においてはすばらしい工事のはずが、一転、再び、欠陥があろうがとにかくつくる工事、つまり、ただの土木屋さんの飯のタネの本音をさらけ出してきたのだ。

 過去にこれだけの、手弁当の市民の時間・労力を費やさせながら、まだ我々に徒労を強いらすのか!怒りは爆発した!

「改良工事」と言いながらの欠陥工事を、とにかくまずストップさせること。
 そして私たちが図面の見方も法的根拠も知らない「ド素人」市民集団ではないということ、私たちスタッフみずから測量からやり直して(信じられないことに、市の担当課レベルでは、既存の道路に接道する各民地の宅地レベル(高低差)測量をどの程度施したかデータすら現存しないことが判明した)、遙かに現実対応した欠陥のない設計が可能であることを示した。
 私たちにとっても、片や税金から給料もらっている技師?になりかわって、こんな無料奉仕の対案提示もアホクサ、に尽きるのだが、vecterフリーサイトからソフトを吟味してコンピュターミレーションに着手した。

 担当課内にはパソコン一台すらないという実状。しかし、さすがに私たちに先を越されたら給料もらうメンツが立たない。だろう!

 翌年度工事分について、当初幹部が「技術的に困難。設計変更など考えられない」と言い切っていた設計を根底から徹底検証して、相当、改良に値する、bestに近いと評価できる設計案を練り上げてきて提示してくれた。
 (当たり前だが)私たちも無駄な出費路面レベルてない

 世の中を暮らしやすくする」ための手段として策定されたはずのマニュアルを、
心底、至上目的に勘違いしているような、自称技術者ボーン(クラ)ヘッドさんは、
依然大手を振って現存する。