相模銀座周辺地区(※参考)2010年春現在INFORMATION

 


 2010年夏着工予定計画
(2012年3月完成予定 再開発ビル)敷地


航空写真GoogleMap (地名表示入り


近隣説明図書 2010.5.19
再開発区域図 

配置図

1階平面図

2〜8階平面図

9〜14階平面図

立面図

断面図

日影図

 


「相模銀座」-通称(森川通り)- の歴史


 昭和30年(1955年)

昭和31年頃まで畑作放棄されて野っ原と化していた(現・指定区域)一帯は、団塊世代の少年たちがソフトボール野球などに興じた、かっこうの遊び場であった。

(参考現代史リンク)
昭和31年(1956年)3月、日本住宅公団 初の入居者募集開始

昭和33年(1958年)12月、東京タワー完成(ALWAYS


昭和36年(1961年)

昭和33年、(現・相模が丘6丁目に)小田急住宅が開発分譲された。駅へのメイン通行路には中の道(市道135号)が多く利用された。そこから駅踏み切りに抜ける早道として、草はらの中に踏み跡路が自然発生的に形成されていった。
 その後の建設ブームで、(建物は建築基準法上必ず道路に接しなければならないので)抜け路が私道化し、そして公道化され現在の「相模銀座通り」に至った。

小田急相模原駅(昭和30年頃)

↓昭和36年当時の小田急相模原駅(西側踏み切り)
 

小田急相模原周辺 航空写真
昭和30年(1955年)
3.6MB  昭和31年(1956年)2.9MB  昭和36年(1961年)1.0MB
 


相模銀座周辺地区まちづくり協定

平成17年5月17日 改定施行 


(改定前 旧協定)


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(「相模銀座」-通称(森川通り)- の歴史)付録

オダサガ南部、昭和36年(1961年)当時


航空写真リンク

昭和30年(1955年)3.6MB  昭和31年(1956年)2.9MB  昭和36年(1961年)1.0MB



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