誰が望んだのか??再開発 その歴史的経緯と、謎の官民コンサルタント主導の「街壊し」 文責:OokWood設計工房 お上(カミ)が突如言い出したこの再開発計画に襲われるまで、私はこの街区の住人であった。 この街区の一角、敗戦直後、昭和21年に建ったという、もっとも貧しい時代の二軒長屋がそこにあった。その片側が私の生家。
物心ついた頃の記憶で、すでにスキマ風だらけ、建物全体相当に老朽化していた。 私は両親・兄妹とは別に、勤労学生として都心文京区の寮暮らしを得て先に家を出た。その後所在のない放浪的な生活に明け暮れたが、所帯を持ち、新しい家族も増えた。手を加えれば2Kアパートよりは間取りでまだマシな生家を、親から家賃ゼロで借り受け、再び住んだ。 その廃屋同然の家屋を自力再生して小さな建築設計室と、「金太小屋」という喫茶室を、住居兼開設した。
(遡れば、モチーフは、20歳のころ、青春の模索放浪旅。寝袋とバックパックひとつ北米大陸をヒッチハイクでさすらって根付いた感覚による。 小田急相模原駅前立地に、廃屋同然といえ、親から労せずしてもらったも同然の建物は、ステーション前の場所柄、そういう青春模索の同輩・後輩たちの、旅立ちの前の鋭気を養える場所として恩返しようと思った。 子供たちにとっても生家として10年余すっかり根を張ったころに、突如、街区一帯をガラガラポンする再開発計画、巨大な高層集複合ビル計画の情報がやってきた。 いったい、誰が望んだのか?! 住んでいる住民にアンケートを取ったでも何でもない! ただ「再開発をしたい」という意思を持った者は、ただバブルとメンツの発想の、いや行政とタッグを組んだ「コンサルタント」と称する巨額仕事の創出仕掛け業者。(「公益」と称した商売・魚の目・鷹の目) 住民の住まいのほとんどは、ウチの家屋同様、老朽化していた。しかし、それぞれの自力の資力なりに、手入れも再生も建替えも収益化も自由にできた。 そこに「街づくり」などと呼べる住民の息吹はない。 息吹どころか、息をさせない、「都市計画決定」という個々の建物の建替えを一切できなくする強権法の網かけがすでに既定の路線に仕組まれていた。 座間市で一番資産評価が高い(つまり一番税金を徴収している)街区で、しかしながら実は、「行政域のはずれ」として、水道・下水・道路歩道・・ほか、もっとも公共整備を怠ってきた。その上、これからの整備出費はさらにこのガラガラポン(県・国の補助金あて)に組み込もうという算段。 これまでの落ち度を我田引水のネタに変える、絶対タダで起きない金才。
「個々の個性・息吹を」と謳いながら、「金太小屋」が去った跡地は、老朽木造よりもっと空気を乱している?(笑)ツルピカビルが建っただけの街こわしに私自身手を貸しただけ。
ただ失ったものの大きさを改めて思い知った! しかし、うれしいことに、隣人お年寄りが次の世代に事業を任せた新たな個々の建築計画の相談を承り、私の感覚と共鳴し合えて、建て替え計画の依頼を授かった。 ほとんど行き当たりばったりの自然発生的ながら、自分たち蟻んこがうろうろ触手を触れ合いながら育ち、築いていった、そして人間味豊かに機能している街を、ただ儲けたい者がためのただの醜い粘土の塊のような街にしてはいけない。
時代は回る。 長い時間の流れを携えられる街づくりにならない、時間の記憶を失った街は、刹那の繰り返しの、いつも人に忘れ去られる、荒廃と破壊の繰り返しの街でしかない。 |
テナント付加住宅 H・A邸が完成、「公開」の催しを与えられた折り、タイトルに、「あえて低層プロムナードへ」 という展望を披露させてもらった。 (若い世代・建築主が切に望んだ「木の住宅」。地域防火指定発効直前の、この駅間街区最後の新築木造住宅) いずれすぐ押し寄せる「時代」にかみ合わなくなるだろうが、迎えるべき「時代」が「正常」なものであろうはずがない、設計者とも確信の「レジスタンス」だった。 |
歴史的な経緯は、戦時中に陸軍病院(現・国立病院と引き継がれた)乗降駅前として商店が軒を並べた。 その庶民型スーパーの斜陽と命運を共にして、活気を失ってはいるが、この時代的横丁に、あらたに二足歩行ヒューマン目線の「クランク」や「広場溜まり」を持って合流する、「再生」 計画が、等身大のスケールゆえ受け入れられた。 日本全国同じ景色に反逆する個性と独創の商才をもった者が活躍する可能性に期待を預けたい。 現代的無機質新都市空間などとは対極をなす真未来
空間なのだから。 |
その後まもなくしてバブルが到来した・・・
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・・・そして去った。 今に至って、そのときのレジスタンス、時代錯誤?感覚が、実は、間違いなかったことを、手前味噌だが、再認識して、溜飲を下げている。 しかし一方、バブル期に唐突に、地域的構築など一顧だにしない権力者的発想で、、街区一挙すべてをガラガラポンして、壮大なボリュームビルディングに集積してしまおうという市街地再開発事業が計画発案され、現在も進行している。 「駅前には高層の集積ビル」であるべきというような、高度成長一方期の すべて「都市計画」などとは程遠い、コンサルタントと称する巨大プロジェクトゆえの巨大利権セールスマンの暗躍と、それに踊らされる、考える能力者不在の行政レベルの問題 である。 (近頃新築の市庁舎を知れば、そんな想像があながち的外れでないことがわかろうと思える。まるでバブルの真っ最中に建ったのかと思えるほど、今時パチンコ屋でも使わない安手 のツルピカデザイン手法で、市庁舎を仕上げた手合いが大手を振っている村、いや曲がりなりにも、市だ。) 一大ボリュームの建物は、少なくとも、そこに集積居住する人間がすべて一同に降り立った時、地表平面上にその人数で憩える
敷地の余裕がなければ、それは、もはや人間の住む空間ではない。 私の関わった方々は、ただ経済成長など知らない苦難の時代、たまたま、名にもない細々住み付けたところが、駅のそばだけだったつつましき庶民そのものである。ごく普通の住宅建て替え同様、資金とローンで頭を悩ませ、分相応の経済力で新築を果たし、少なくとも住居的改善を得た相応の暮らしをされている。 すべて人の金、自分の腹の痛まないところで煽る、未来を考えている? という行政の思惑は一体何なのか?自分たちでは good と思っている(?)市庁舎のような、体裁・メンツを達成したいのか?それとも、県の「補助金」こそがおいしそうなお目当てで、今まで放置して無策に残してしまった、「都市部」の整備経費をこの際しっかり便乗して浮かす使命を担っているのか?いずれにしても、この街を営んできた人々、お年寄りたち「人間」の形跡をいとおしんでいく目はない。 そのむかし、建築をペンに持ち替えた松山巌氏がその著作で不気味な始まりを指摘した、生地 「超高層(霞が関ビル)の谷間(ハザマ)」あたりを発端とする、人の心を飲み込むブラックホールの同心円波紋が、長ーいサイクルをもって、ゆっくりジワジワ振幅を伝え続けている。どこの地まで、どこの人の心まで果てしなく届くのか・・・ 手塚 治は、ライフワーク「火の鳥」未来編で、巨大建築の行き着くところ、その都市全ての住民がひとつの集積した超巨大なタワー建造物都市に住む未来構図を描いた。(そしてすべて中央コンピューターで制御され、そのコンピュータの判断ミスひとつで全て灰燼に帰す・・・) マンガの世界が確実に現実に進行している愚かさ・怖さ。
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人
間が生命であるのと同様、その文明文化も生命体そのものといえる。 力をつけた筋肉も、活力源を運ぶ血管も育つ一方だけではない。 社会も「路(street)」もまさにそれに該当する生命現象と同じだ。 早く「質」を維持する健康法を悟らなければ、突然死を迎えるのは明らかなのだ。 この狭い曲がりくねった、都市デザイン形態として理想的な!「人のよどみ空間の横丁路地」も、年月をかけた人の営みで形づけられてきた。 そして、ちゃんと機能する。 小さきと言え、社会の「血管」である「路」の経緯を食いつぶした増殖は、もはや、本体死をもたらす「癌」に変質したというべきだろう。 |