廃屋再生 1978 山と渓谷社 ウッディライフ No.9 (1983年10月刊) 紹介記事 |
解体された木造校舎の古材や、
製材で廃棄 される端 材などの再利用で、 ここまでの建築が仕組める!という提示。
(ただ充分な資金がないゆえのエネルギー、ビンボー人の特権的? 感性ともいえるか。) 資金150万円。1978年9月~翌年3月/第一期自力建設) 何より、既存の建物本体が(一番物資に乏しい戦時中時 代に建てられた、典型的庶民長屋 ) 、老朽、腐朽、生活様式の変化の果てに、如何ような価値も ない住宅として見捨てられた、いわ ゆる「都市廃屋」であった。 いちはやく「大量消費」文明の空虚さを感知・共感した 友人達が面白がって労務ボランティアをしてくれ遊 び感覚で自力建設が成った。 どんな古い傷んだ建物でも、完全な水平・垂直ゆがみを直 せば、そ れだけでシャキッとした威勢を取り戻す。背筋のシャキッとした人と、そうで ない人との印象の差のように、あちこち傷んで「もうダメだ」と周囲の人にあきらめの印象を与えてしまうのは、ひ とえにこの水平・垂直ゆがみによるところが極めて大きい。 現場アルバイト時代に木造の建方や増築建方現場でゆがみ直しを 徹底する古参棟梁たちに何とはなしに基本的感性を仕込まれた。そういう見よう見まね習慣・経験は大きい。 ただ石の上にのっかているような建物は一人で直せる!とためら いもなく作業に取り掛かれた。 床を取り払い、ジャッキやワイヤーを操って、レベル・下げ振りを 見ながら、重量物が見る見るこの非力な一人の手でも直っていく作業は楽しくて仕方なかった。 仮柱で浮かして、根腐れした柱脚は切り詰めた。水平・垂直を 見ながら足固め触れ止めと仮筋交いでがんじがらめに補強後、柱脚4辺下方へ羽子板ボルトをホールダウンとして取 り付け、礎石の上で調整した。のち土間配筋して、切り詰めた分の20センチ厚のべた基礎鉄筋コンクリートで脚部 ごと埋め込み打設して固めた。 経年変化そのままの古い構造材をそのまま露出した。強度に関 わらない内部の壁・下がり壁をすべて取り払い、貫き穴や敷居鴨居の取り付けほぞ穴、ジャッキアップ支柱をかませ るため欠き込んだ跡などすべてそのまま露出した。見慣れない人には彫刻デザインと思う人も出るくらい、絶妙に溶 け込んだ。 妙な、『経年時間を携えた建築』と して、根強いファンを獲得して支えられた。 (数度雑誌取材を受けたが、表層のみ見て「時間の建築」である ことを汲み取れる成熟した感性の記者・紹介者にはお目にかからなかった) |
婦人生活社 / WOODY ●木と
人間の本(1984年6月号) 紹介記事
山渓の本の情報を後追いで取材して回っているとわかる、安易な、売れ 筋雑
誌づくり取材と想像はついたが・・・
ネーミング(由来は多 くの 友人たちが愛称としてくれた心に捧げたもの・・・) |