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(座間市) 小田急相模原駅北口 西地区再開発計画

最新 情報2015

30年かかって・・最悪「実施設計」進行 街壊し

↓ が本来往来する地表(1階部)は、(交差点角コンビニ規模テナント店舗以外)すべて設備機械室・駐輪場類、 死んだ街

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↑県道(行幸道路)視点 「サウザンロード入口」交差点(座間方向)


↑(座間側) 踏切側 視点 (「サウザンロード入口交差点」方向)

PDF全図


(旧)基本設計案


↓ が本来往来する地表(1階部)は、(交差点角コンビニ規模テナント店舗以外)すべて設備機械室・駐輪場類、 死んだ街<
「21世紀」とは・・建築・都市計画的愚挙の塊が大規模に建設され、その後何百年と愚かな姿を留めていく「愚かな都市計画世紀」として後世長く歴史に刻まれていくのだろう。

「20世紀」というそれも愚かな世紀の末期に愚かな、自分だけの強欲に生きる人々によって無理やり計画され、「新世紀」という(明るい未来的イメージ溢れさせた)【21世紀】に、とうとうこれから「死んだ街」を実際の形につくりあげる。

PDF 全図


(旧)2014基本設計案



 

その歴史的経緯

(第1種)市街地再開発事業とは?

小田急相模原駅西口地区

一所懸命なのは?

注)再開発区域に指定された区域内の既存建物の建替えは法的に規制されている
※末尾付録 
【ハミダシ建築家の個人的視点】

 

市街地再開発事業に関する国の補助

* 調査設計計画費、除却整地費、共同施設整備費(駐車場を含む)など再開発ビルの整備に要する費用の一部に対する地方公共団体の補助に対する補助(地方公共団体施行の場合は直接補助) [補助率 1/3]

* 事業で整備される公共施設を管理する事となる地方公共団体が施行者に支払う負担金に対する補助 [補助率 1/2等]


再開発事業には、再開発される街区の地権者だけのためでない多額の公的補助金が注ぎ込まれる。

さて、その事業者以外の他の一般市民にとってどういう恩恵がもたらされるだろうか?

(一例)
・周辺道路が整備され拡幅公共空地開放ゾーンが増える。
・通行しやすくなる。
それくらいが他の一般住民が実質的に得られる利便のみ。

見映えがよい街になる? しかし上空を見上げれば、威圧的に景観は確実に悪くなるだけ。

座間市西地区街区は、再開発があってもなくても、すでに周辺道路は拡幅整備が進んでいる。

一方、一部の道路後退されない元ゲームセンター(踏み切り側)やパチンコスロットビル(辰街道交差点側)は元より再開発区域から除外されていて、これ以上の道路後退は望めない。

この再開発がされようがされまいが他の一般市民にとっての周辺道路の拡幅整備恩恵はもはやない。

再開発街区の事業者のみの利得(?)のために、多額の助成金が使い込まれていく・・・
世間一般市民にとって・・・という社会的視点が欠落していて・・・社会性を懸命に訴える事業の裏側は・・・?

相模原市側がきれいになった。座間市側がこのままではメンツに関る・・・そんな意識がつとに垣間見える。


 金太郎飴でない、未来にユニークなヒューマンな温かい街並みを再生していく時代ではないのか?

 


大きな地図で見る

座間市・小田急相模原駅前西地区

--- 第一種市街地再開発事業・組合施行(予定)/都市計画決定概要---

(座間市都市計画課資料より転載  平成5 年11 月9 日現在情報)  -  
(注:実写写真とレイアウトはすべて、見にくい公文書資料を補足するWEBページ独自の参考添付です)
△ 完成パース



△ 配置図・平面図

△ 断面図








文:座間市都市整備部都市計画課 (c)公開情報より

(写真別)


Human Hot Promenade


(C) OokWood Architect & Design Workshop





 
 
 




(C) OokWood Architect & Design Workshop

Human Hot Promenade(at night)



△ 施行区域図



△ 地区計画区域及び高度利用地区図












踏み切り  

 

【ハミダシ建築家の個人的視点】

(生地の再開発に思う)「記憶を失った街は生き続けるものを敬えるか?」

  この、プロモーション・イメージ(販売促進用絵図)に隠されたご都合表示

  (道路幅と車のサイズのインチキな対比大きさまでイメージねつ造。)

ペデストリアンデッキの妄想

  • 手前の踏み切り・線路に面する空地(に見える)敷地に線画だけで配置されたところには、現実は、すでに既存の、隠し様のない醜悪タワー集合住宅。
     
  • 低層部分、ペデストリアンデッキ導入路としてイメージされているところには、当初から強行に再開発区域除外希望を表明しているゲームセンター既存。
     
  • イメージ建物全体の裏手の影にはパチンコ屋、風俗ビル。それらを除外した虫食いの区域指定。
     
  • 街区内の既存の多くの建物をはずしているのに、なぜゲームセンターを無理やり区域内指定したか?そしてその結果が事実すべての停滞元凶になった
     それこそが、ペデストリアンデッキ固執・妄想が招いた"インパール作戦的な大失態"


    (注)
    インパール作戦 =第二次大戦中、誇大妄想による成功の見込みのない作戦を強行して、 進軍させた十万の兵に食事の補給すら出来ず大半を餓死させた大無謀作戦。
    (机上の、超高空からしかものを見ない「地位だけ参謀」現場未熟者・跋扈の象徴

  • なおこの中途半端な「空中回廊デッキ」の妄想・固執は、さらなるおかしな改変展開を見せるようだ・・・

  ■この再開発案音頭取り行政の最大のミス・誤算
  • 町田・相模大野という巨大な競合隣接エリア。小田急相模原駅前競合商圏としても、駅南口・既存のヨーカドーサイドに加えて、OX・駅ビル内に高密度商業ゾーン。大競合。     

  • その中で、「忠実屋」大型店が撤退した轍も見つめず、その存亡の生命線をかっての忠実屋アプローチ通路踏襲 "ペデストリアンデッキ"化するという金太郎飴装置への集団妄想。
    しかもその盲信装置のために、ゲームセンターを(区域除外の希望を強烈に表明しているにもかかわらず)強制的に再開発区域に押し込んだ強権固執。
     
  • 再開発計画が長い歳月をかけて実りのない道を歩んでいる元凶は、100%この病巣。仕掛けたA級戦犯(=焚き付けて誰も責任を取らなくていい行政無責任システムの本態)
     
  • そして、古き良きコミュニティの優しい存在が、逆にひとりひとりの冷静な思慮を狂わす(戦前戦中)隣組同様の旧態。狡猾に悪用する行政。
     
  • 決定的に誤った計画を「過ちだった。忍び難きを忍び・・」と終息宣言・白紙撤回する高次元の理知者が現れない限り、「本土決戦」強行の大荒廃しか見えてこない・・・


  •  
    ※ぺデストリアンデッキ 
    (pedestrian:歩行者 / deck:乗り物の床)
     
    :地面を車通行に占領され、歩行者が(安全のためと称して)高架に追いやられた、本末転倒の歪んだ文明装置の象徴

    通過交通・車に乗っ取られるまま心を許して自ら寂れた街が大多数。
    地面のままで人が安心して歩ける、車の通らない「小路」に勝る「魔法の装置」デッキなどは存在しない。


    文責:大木正美(建築家)座間市相模が丘 出身

    rewrite・update:2006.09.04(誕生日に・生地の行く末を見つめ続けて)



多様な意見・参考LINK→座間市・小田急相模原駅前 西地区 再開発計画に替わる提案(序章) 

 

 

 



  • 「愛着のある土地」といっても、玄関を出ればすぐ気軽な近隣コミュニケーションの場だった路地の風景も、庭先の景色も・・・
    何もかもガラガラポン高層集合化する
    交換建造物には、愛着を引き継ぐものはもはや何も残されないのだ。

  • 商売の立地条件もいらないただの住人居住者にとっては、「なにが等価だか???いかがわしい交換」お仕着せ事業でしかない。
    新しい住戸が欲しいなら、持っている権利をサッサと売って、近隣に手間要らずの新しい住居を求めるなどの自由な選択肢で将来展望を図ったほうが、よほどマシと思うが・・・

     

  • 高層集合住宅、賃貸住宅でないから家賃はゼロ・・と一見考えるのがまたサッカク。
    管理費、修繕積み立て費等ただ維持のためのバカにならない経費も・・・
     

  • そして質のいい木造の小住宅ならメンテナンス次第で100年以上維持可能であるのに、高層化した構造建物は、もし本当にその耐用年数に匹敵する年限を維持しようとしたら・・・比較にならない莫大な金額を注ぎ込まなければならない。

    それも60年周期とも(仮説で)いわれる巨大地震に遭うこともなく過ごせるという幸運も幸運の仮想設定上である。
     

  • 何層にも積み重なった構造部分に表見わずかな損傷といえ水平・垂直に損傷をきたした高層構造建物は、もう修復不可能。また新たな建て替え資金がそっくり必要となることは・・・阪神・淡路大地震で損傷を受けたあまたの集合住宅の末路の前例にも明白事実。

 

  建築をやっていると・・・どんな精魂こめた建造物でも、建築・建物の寿命とはかくもはかないということを若かりしころから日々実感している。
  私の生まれる前から建っていた建物も、ごくわずかの有名作品以外は、もはや修繕の手も入れられず除却されていく。

 時代のニーズ・価値観に合わない、生活スタイルにいかんともしがたく合わない・・・
そういう宿命の悲哀を一番浴びるのがいうまでもなく集合化された上に伸びた建造物。

  ささやかな庶民の小住宅は、常にどのような時代のなかでも生きていけるのだ。
 街の記憶、人々の記憶をいつも消し去って更新されていく街づくりとは・・・ 究極、その場限り、なんだっていいのだ。。。

 どこにいても変わらない金太郎飴。「ふる里」をつくらない社会は、ただただ刹那的。人々の社会性・人間性を限りなく損なっていくのだ。

 元凶は誰か?

言うまでもない。日々贅沢暮らしをしたい金欲にかられたただの商魂鬼畜人たちによって、プアでもハッピーな暮らしのできる伝統の日本人が餌食になっていくだけの事象なのだ。

 

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