相模銀座周辺地区(※参考)2010年春現在INFORMATION
|
昭和31年頃まで畑作放棄されて野っ原と化していた(現・指定区域)一帯は、団塊世代の少年たちがソフトボール野球などに興じた、かっこうの遊び場であった。 (参考現代史リンク) ◆昭和33年(1958年)12月、東京タワー完成(ALWAYS) |
昭和33年、(現・相模が丘6丁目に)小田急住宅が開発分譲された。駅へのメイン通行路には中の道(市道135号)が多く利用された。そこから駅踏み切りに抜ける早道として、草はらの中に踏み跡路が自然発生的に形成されていった。 |
小田急相模原駅(昭和30年頃) |
↓昭和36年当時の小田急相模原駅(西側踏み切り) |
小田急相模原周辺 航空写真
昭和30年(1955年)3.6MB 昭和31年(1956年)2.9MB 昭和36年(1961年)1.0MB
(「相模銀座」-通称(森川通り)- の歴史)付録
オダサガ南部、昭和36年(1961年)当時
航空写真リンク
昭和30年(1955年)3.6MB 昭和31年(1956年)2.9MB 昭和36年(1961年)1.0MB
HOME |